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中島貞夫監督インタビューをさせて頂きました!

京都国際映画祭名誉実行委員長である、
中島貞夫監督にインタビューをさせて頂きました!
日本映画発祥の地で開催される京都国際映画祭の歴史や中島監督の想いをお聞きすることができ、時代劇に対する興味がより深まりました!

「京都国際映画祭になるまで」

昭和25年ごろ、京都市民映画祭ってものがまずあったんです。これは京都市がお金を出してね、それから京都映画記者会。その頃京都って沢山映画を作ってたから。そういう人たちが主体になって大きな東映・大映・松竹というね、3つの撮影所がそこで映画祭をやろうと言うわけでそこで映画祭が始まったんですよ。

それでね、京都市民映画祭は僕らが映画界入った頃盛んでね、何年くらい続いたのかな、2回くらい僕も賞を貰ったんだけどそれが京都の映画製作本数減ってきて、映画記者会も無くなって、ほとんど残ったのが東映だけになっちゃった。すると東映映画祭みたいになってしまうからもう辞めようと言うので辞めた訳だ。

それで映画祭が断絶したんだけど、その後またいろんな支援があり映画祭復活させたいと、だからそれまでみたいに京都に限定した映画祭ではなくて、もう少し幅広く映画界全体を俯瞰してみる、そう言った風にしようというんで、それが今から20年ちょっと前かな、97年から。

それでその時は、京都市さん、それから京都府のほうと、それから民間の有志が立ち上がったのが京都映画祭というね。それがいろんな事情があったんだけれども、1年おきにやろうと、映画祭をね。そして映画祭をやってない年はそのお金を使って映画製作をやろうというね、そういう映画祭になったんだけど、なかなかやっぱり行政のための映画を作るの難しい事が、色々制約があるからね。結局隔年ごとに映画祭をやる。それが今から7年前ぐらいまで続いた訳だ。そしてそれもちょっと色んな事情があっていっぺん幕を下ろそうよと、となった時に、今回よしもとさんと中心とする人のバックアップがあるからそれで何とかやりたいと。

それでまた京都の映画祭っていうのがスタートしました。

映画祭そのものの歴史って言うのは、まあ日本でもかなり古い歴史を持ってるんだよ。

そして僕自身はね、やり尽くした感じがあったんで正直言えばもう引こうと思ったんだけど、中継ぎ的な色んな事があるから、形だけでもという事で、今年の6回目までずっと続いてきちゃった訳だ。気がついたら辞められずにまだ存在しているというそういう事なんだよ。

中島貞夫監督

「京都国際映画祭はアートな映画祭」

今度の映画祭やる時によしもとさんの色んなアイデアで、特に映画もアートも全て含めようと。ただ、映画祭という形を取るんだけど、ある意味で「アート祭だな。」映画もアートの一部だという風に位置付けると。

しかし、何と言っても映画が中心に京都の場合は成らざるを得ないから、それで今みたいな形になった訳だね。ただ映画の方を奥山さんという総合プロデューサー、アートの方をおかけんたくんがね、やってくれてそれぞれが競うような形でやってるので、映画祭そのものを展開する人は非常に広範囲な幅が広い、そういう映画祭になっている訳です。

中島貞夫(なかじま・さだお)1934.8.8-

日本の映画監督・脚本家

  • 2006年 第5回京都映画祭 牧野省三賞
  • 2012年  香川県 文化功労者
  • 2015年  全国興行生活衛生同業組合連合会 特別功労章

インタビュー内容はこのページにて順次更新致します。